ヘレン・ケラー温故学会を訪問


 三重苦のヘレン・ケラーが塙保己一を顕彰する社団法人温故学会に来会したのは、昭和12年4月26日のことであった。ヘレンケラー温故学会訪問

 定刻の午後4時すこし前、2台の自動車が玄関に横づけされ、トムソン嬢に介添えされたケラーは静かに敷石の上に降り立った。

温故女学院の生徒や関係者一同が歓迎するなか、理事長斎藤茂三郎が先導し、通訳森岡正陽、関西大学教授岩橋武夫夫妻らと共に、版木倉庫から講堂へと進んだ。

 講堂に入ると、「塙保己一像」や「塙保己一愛用の机」に触れ、トムソン嬢とケラーの指とがしきりに動いて会話している。満員の参加者は何事も見逃すまいとこの光景を眺めていた。温故女学院の生徒と関係者

 かくして、心ゆくまで保己一の偉業に接したケラーはトムソン嬢から森岡通訳を経て、次のように感想を述べた。

 「私は子どものころ、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされた育ちました。今日、先生の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なことと思います。

先生の手垢の染みたお机と頭を傾けておられる敬虔なお姿とには、心からの尊敬を覚えました。先生のお名前は流れる水のように永遠に伝わることでしょう」

 ケラーが昭和12年に来日した陰には、岩橋武夫との熱い友情があった。

岩橋は大阪市に生まれ、早稲田大学在学中に失明したが、苦難のすえ福祉事業に献身し「愛盲の使徒」とたたえられた人である。

 昭和9年渡米した際、ケラーを訪問して「ぜひ来日して盲人を激励し、社会の関心を高めて欲しい」と依頼したのである。

サリバンも病床から「ここまで教育したのも、盲人の啓発のために世界の盲人と手を握り、皆が幸福になれるよう努めて欲しいと願ってのことです」と彼女を励まし訪日を決意したのであった。


 ケラーの訪日はその後、身体障害者福祉法の公布など、障害者の教育、福祉の進展に大きな影響を与えたわけで、この意味で保己一は日本の障害者福祉の基盤を築くきっかけとなったともいえる人物である。