塙保己一エピソード その7.保己一の死後
保己一が亡くなると、和学講談所の事業は四男・忠宝(ただとみ)が継承することになったが、文久2年(1862年)12月に事実無根の風評によって浪士に暗殺されてしまう。
その犯人は、若き日の伊藤博文と山尾庸三であった。後年、両名は明治政府の要職に就いたが、過ぎ日の自身の行動を反省し、障害者福祉の発展に尽力したのである。(司馬遼太郎著「幕末」参照)
保己一が亡くなると、和学講談所の事業は四男・忠宝(ただとみ)が継承することになったが、文久2年(1862年)12月に事実無根の風評によって浪士に暗殺されてしまう。
その犯人は、若き日の伊藤博文と山尾庸三であった。後年、両名は明治政府の要職に就いたが、過ぎ日の自身の行動を反省し、障害者福祉の発展に尽力したのである。(司馬遼太郎著「幕末」参照)